SnowManにとって春とは。

横アリ単独公演が終わった。

歌舞伎の季節がやってきた。

今年クリエ単独公演は無い。

 

いつもの春とは少し違う2018年の春がやってきた。

今年の新橋演舞場に立つ6人は

横アリを白い光で埋めた6人である。

心がちょっと大きくなった6人である。

 

そして今年の滝沢歌舞伎は

どちらかというと滝沢's World、略して「滝ワ」。

 

6人中1人が美女で、2人は犬。

 

歌舞いていればそれは全て歌舞伎。

しかし私が見たい滝沢歌舞伎はこれではない。

 

全キャストが役と向き合い作り上げていく

日本の和の演劇が観たい。

 

美女だって、犬だって、

女性らしい所作や犬らしい鳴き方や

もちろん役と向き合って今があるのだろうけども。

 

私が観たいのは

お江戸でござるではなくて、大河ドラマだ。

 

そろそろ滝沢歌舞伎から卒業してほしい

そう思っているSnowManのファンは少なからずいるだろう。

私は卒業してほしくない。

 

歌舞伎のリハから本番までの数ヶ月間拘束されなければ新しい仕事ができるのかもしれない。

新しい春が始まるかもしれない。

でもそれは確約された未来ではない。

もしかしたら春の仕事がなくなる可能性もある。

 

SnowManが華を際立たせる職人として、

力を最大限に発揮できるのが滝沢歌舞伎だと思っていた。

だから私は、正解かわからない新しい未来が来るより、いつもと同じ春を続けていってほしかった。

主役を際立たせつつ、各々の魅力を生かしてくれる滝沢歌舞伎という春が大好きだった。

 

いつもと同じ春が今年も来たと思っていた。

 

今のSnowMan義経をやったら。

今のSnowManが将門をやったら。

今のSnowManが革命をやったら。

 

待っていたのは、今年もコメディな春だった。

日本の最先端技術を見せつけられた春だった。

 

東京人は皆2020年を見据えている。

海外の人が見て、今年の滝沢歌舞伎は面白いのだろうか。

歌舞伎という名前から、もっと日本の和の世界をイメージするのではないだろうか。

 

海外の人は、五条大橋に立つスーツの牛若丸に感動するだろうか。

 

今の滝沢歌舞伎の観客は、

至近距離でタッキーを見れる、三宅くんを見れる、ジュニアを見れる、タッキーと三宅くんが2人で歌って踊ってる

そこに満足しているように見えている。

 

2020年を見据えて作り上げたモノを観る場に

観客はヒトを目的で観に来ている。

 

いつもの春を卒業してほしくなかったけれど

何が正解かわからない、

そんな2018年の春である。

 

 

涙で滲む約束をした春を

ずっと綺麗に繰り返したいと思っていたのに

春のほうが変わってしまったら

未完成な風景を傍で見ていたい私は

白い光の海に戻りたいと思ってしまう。

 

数年前の春に、

SnowManとファンが1つになってほしいと言われたけれど

この春なんとなく1つになれた気がした。

 

でもそれは約束への一歩で

未完成な風景が完成へ近づく一歩で

個人的にはすごくさみしい。

 

彼らだけを照らす

彼らのためだけの白い光の海は

観客の私から見てもとてもとても綺麗だった。

 

でもそれは「今」だからできたことで

例えばこれがドームにでもなったりしたら

場を乱す色が白い光の海に混在するのだ。

 

SnowManSnowManとして仕事をするのが

歌を歌うときだけになって欲しくない。

白い光の海の中でだけのSnowManになってほしくない。

 

だから滝沢歌舞伎にはSnowManとして6人で出続けてほしいのだ。

彼らの魅力を生かしてくれる、彼らのことを見守ってくれる桜の海がそこにあったから。

 

桜の海が小判の海に変化しても

光り輝く彼らが立っていてほしい。

 

美女や犬ではなくて、男の人間として。

 

彼らは純白の誰も歩いたことのない果てしない道に

今なお銀色の足音を響かせている。

 

でもそんな彼らにずっと、

「もう少し傍にいて」って永遠におねだりされていたいのだ。

 

 

余談だが、私はこのブログをiPhoneから打ち込んでいる。

前回の記事を読んだらそういう設定にしてないのに何故か急に文字がデカい文章がいくつかあった。

今回も投稿したらそんな状態なのだろうか。

決して強調したい意図はない。